today

本日の現場

青学vs四天宝寺

●大阪
2018/12/30 17:30-1階サイド上手
2018/12/31 12:30-1階サイド下手
2019/01/06 12:30-2階立ち見上手(当日券) ★謙也
2019/01/07 19:00-1階サブセン上手
2019/01/08 19:00-2階サイド上手(当日引換券)
2019/01/09 19:00-1階サイド下手(当日引換券) ★白石
2019/01/11 19:00-1階サブセン上手 ★白石
2019/01/12 12:30-2階立ち見下手(当日券)
2019/01/12 17:30-2階下手センター(当日券)★謙也
2019/01/13 12:30-2階立ち見センター(当日券)
2019/01/13 17:30-2階下手★謙也
●岐阜
2019/01/27 12:30-サブセン上手
2019/01/27 17:30-サブセン上手★謙也
●東京凱旋
2019/02/09 12:30-2バルサイド上手
2019/02/09 17:30-1バルサイド下手
2019/02/10 12:30-1バル上手★白石
2019/02/16 12:30-アリーナ下手★謙也
2019/02/16 17:30-2バルセンブロ
2019/02/17 12:30-3バルサブセン下手
2019/02/17 17:30-3バルサイド下手★謙也


数年ぶりに忍足謙也くんへの恋心がはじけてあふれて抱え切れなくなり、得も言われぬ苦しみを抱えた今夏。
時は夏、謙也くんの中学最後の夏です。

個人的にひどくストレスが溜まっていて呼吸もままならないような時期で、外出も気乗りしなくて這うように劇場に向かったのだけど、みるみるうちに魔法のように元気になりました。

3rd四天宝寺戦はもう生では観られないし3rd忍足謙也の姿を永久に観られなくなる日もいつか来るんだけど、いまこのときに確かに感じている幸福と熱量が、何もかもが終わってもどれだけ時が経っても興味のベクトルが変わっても、私の人生の宝物のひとつになります…
人から見たら気持ち悪いと思いますが大切な本音なのでちゃんと記します。


◆D1
・財前くんの全身から迸るような心の叫びとは対照的に、いろんな思いを内に秘めた謙也さんの表情に胸がつぶれそうになる。

お膳立ての後ベンチに戻った謙也さんがラケットをじっと見るのね。暗転している中で。この試合で使われなかったラケット。そして結果的にこの夏、公式試合ではもう使われることのなくなるラケットを。

謙也さんはあの試合の前も後も、ひとりでいるときは、ひとりでいるときだけは、思い詰めた顔で唇を噛むのだ。中学生にしてはあまりにもおとなびていて、だけどおとなみたいにすぐには割り切れない。そんな14歳の少年が、千田くんの忍足謙也でした。

・謙也さんが財前くんに何も告げずにオーダー変更したのは、彼を軽んじているわけではなくてむしろ対等なひとりの選手として扱っている(現時点では意図を汲み取れないほど未熟なことも承知の上で)からこそだと私は思っているけど、案の定本人にまったく伝わっていないのが見ていて苦しい。

謙也は千歳個人の望みを慮ってオーダー変更したという描写が原作では色濃いけれど、もちろん言わずもがな「チームの勝利が第一」「勝ったモン勝ちや」という考えもあるはずで、そういう意味でも「強い奴がコートに立つのが当たり前」だし、相手が手塚ならば千歳と一騎打ちさせるのが順当。

千歳をダブルスで出場させることで結果的に財前も出られなくなると謙也さんも分かっていたと思う。その上で、試合前に財前くんに何も声をかけない、目を合わせることも肩を叩くこともない、あのお芝居が毎度胸にきます。

非情といえば非情だけど勝負の世界だから、謙也さんは財前くんにもそれを受け止めてほしいんじゃないかなと。後輩で、精神的にも未熟で、そんな彼がすぐには現実と向き合えないであろうことは分かっていても、ひとりの選手として認めているからこそ彼の未来を信じたのかなあと、千田くんの演技を見て思った。
(千田謙也さんの場合は謙也さん自身もすごくすごく苦しそうで、頭では理解していても割り切れない思いがあって財前くんの気持ちもよく分かるからこそ、下手に声を掛けられないという感じもある)

千歳に出番を譲ったあと言葉を交わさずに財前くんとすれ違う後ろ姿とか、己の力量を見極められず雲の上のふたりの真剣勝負に無謀にも首を突っ込みまったく通用せず奈落に突き落とされたようなあの瞬間の財前くんのことをただひとり気にかけ続ける視線とか、敗北して俯き続ける財前くんの背中を押すその手とか、全部言葉はない、ないけど、このうえなくやさしいよ。
だからこそ財前くんには自分の力で立ち上がってほしい。時間がかかってもいいから、いつか理解してほしい。

この全国大会は財前くんにとって大きな転機になる。
軽んじていたタカさんのプレーを見て感じたことも、D1でおのれの今の現実と認識の甘さを突きつけられる地獄も全部糧だと思うし、「中学2年生の未熟な精神」を等身大に表現するだけではなく、青学戦を通して財前くんに蒔かれた成長の種と未来の可能性も示してくれる廣野くんのお芝居がとても好きでした。

・「ラケットを置く」のではなく「ラケットを渡す」という動作に、「試合を降りる」のではなく「試合を託す」という意思を感じる。

・謙也さんがお膳立てを決意したのはいつのタイミングなのか、原作には描写がない。けど、3rdシーズンでは明確に「青学のD1オーダー発表後、四天宝寺のオーダー発表前」という表現だった(スピードスターすぎる…)。
私は「四天宝寺内部でのオーダー発表時」(アホ抜かせ!のとこ)だったのでそこは解釈が違っていました。
ただ少なくとも、オサムちゃんは謙也さんがそういう行動に出ることを読んでいたように見えた。(公演序盤は謙也さんがオサムちゃんにラケットを渡しながら一言何か告げていたけど中盤からはアイコンタクトだけになった)

◆S3
・忘却のオタクなので、毎回どちらが勝つのかドキドキワクワクしながら観てしまう。
「テニスの聖書(基本に忠実なテニス)vs強さの底が読めない天才」という最高におもしろいカードが生み出す、ゆくえの読めない勝負の緊迫感が、ヘカトンケイル攻略時の新曲でよく表現されていてすごく好き。

・増子くんの白石は、表面的な柔和さと、強豪四天宝寺中テニス部を統べる部長としての確かな貫禄とのバランスが本当によくて、完全に私の理想ど真ん中の白石です。
謙也さん固定カメラの私でもS3のときだけは白石から目が離せなかった。
この白石が「おまんは勝たさんぜよ」やるんだよね!!
今から楽しみすぎます!!

・白石が勝ったとき四天ベンチが沸くんだけど、謙也さんだけが徐々に白石の心情を汲み取って真顔になっていくのが良い。ただ「勝ったモン勝ちや」に笑顔も肩ポンもジャージ着せ着せもいらないと私は思う。同じスローガンの下でずっと一緒に戦ってきたふたり、その一言だけで通じ合うところが見たい。

◆D2
・長かったけど長さを感じさせないほど毎回最高に楽しかった!
ネタの完成度の高さと振り切りっぷり、本当にD2のふたりは良かった。

・そしてこんなにも笑いが溢れていた愉快な試合なのに、敗北に終わったとき四天ベンチが険しい表情を浮かべるのを見るにつけ、彼らは「戦うよりも楽しまなあかん」だなんて1ミリも考えていないんだろうなと、四天宝寺の「譲れないプライオリティ」は「勝ったモン勝ちや」に他ならないのだなと毎回ひしひしと感じていた。

・一見ふざけているように見える四天D2も、実は緻密な戦略に基づき勝機を狙っていること、「勝ったモン勝ちや」を貫く選手たちだということ。
曲中では表現されていないけど、ふたりとも只者じゃないということは試合中にちゃんと感じられる演出になっているので満足です。

・D2は四天ベンチがとにかくかわいくて目が離せない、、
今回の財前くんはなんでもかんでもスマホで撮影するんだけど、青学入れ替わり疑惑のときに撮影画像(映像?)を白石と謙也に見せて3人で頭突き合わせて検証するところめっちゃかわいい。白石と謙也の間に割り込んでポジションを取って得意げにスマホを見せつけるところもいい。

・謙也さん、行き過ぎた悪ふざけに加担しないところが好き。
財前が置き忘れたスマホのパスワードを暴き盗み見する小春を止めるところとか。
D2で財前くんがユウジから受け取った衣装をすごく臭くて汚いものみたいに扱ってベンチに放り投げるんだけど、それを何度も嗅いで「え?別に臭ないやんけ」みたいにマジレスツッコミするところとか。
前提知識があるから先入観バリバリなんですけどばっちりしっかり「いいとこのぼっちゃん」に見えてるよ。


◆S2
タカさんの精神力、岩田くんの身体を張った熱演にはただただ称賛の気持ちしかないけれど、「身体的・精神的な限界を超えても逃げずに立ち向かい闘い続ける」という描写、その是非に、現在の個人的状況を重ねて複雑な心境になった3rdシーズンであった。(まあ私なんかとタカさんを同一視するのは失礼極まりないのですが。)

だってあの試合は、誇張ではなく命にかかわる死闘だ。
ましてや彼はまだ守られるべき存在の子供で、周りの大人が責任を持っている。
私が近くにいる大人だったらあのタカさんを止めないといけないかな。だけどそうしたら、タカさんは中学最後の試合の悔いを一生抱えて生きなければならなくなってしまう(と本人が心の声で言っている)。

私がそういう葛藤に駆られているうちに、タカさんはしっかりおのれに打ち克ち、試合としては勝利を収め、タカさんの誇り高き武器である「パワー」でもって青学の決勝進出に大貢献する結果となり、手塚にも改めて自分の存在意義を言葉にして認めてもらえて、いままでの努力が全部報われて、身体は傷だらけだけれど幸い治る怪我しかなく。
ぜんぶうまくいってよかった、ほっとした。
だけどそれは漫画だからだ。
いまだに答えは見つかりません。

◆その他
・D1試合中手塚は乾がサーブ・レシーブでコートに入るたびにアイコンタクトを送っている。一方で千歳は試合前も試合中も試合後も、一度も財前を見ていない(と思う。私が見逃しているだけかもしれないけど)。
だけど手塚に比べて千歳が無配慮とかとかそういう話ではなく、彼には彼の価値基準と行動原理があるのだということ。チームの中での在り方や闘う理由が、千歳と手塚とでは決定的に異質。

ほんとーーーにこれ、個人的な思いだし考えが浅いので解釈間違ってるかもしれないんだけど
千歳は強い者や聡い者には敬意を払うし興味を持つけれど、そうじゃなければきっと眼中にないのだと思う。軽んじている意識はなく、たぶん財前のことは本当に無意識に文字通り、眼中にない。

・千歳敗北後にユウジが謙也の傍に寄るけども簡単に声を掛けられない、という感じがリアル。同学年でずっと一緒に闘ってきた仲間として「3年の夏が終わった」ことの重みは共通認識としてあるだろうし、ユウジが黒星を喫しているというのもあるし、謙也は試合に出ていないし。

・公演中盤くらいの全員曲で対戦相手同士が視線を交わして闘志が交錯する瞬間のうつくしさがテニミュの真髄だと思っていて、例に漏れず「一勝一敗」も愛してやまないのですが、この曲では「黄金ペアvs謙也・財前」という別の世界線でのストーリーが示されているのも良い。

・This is my best!は…良い…。改めて、本当に良い。あのきらめきを浴びるだけで長生きできる気がするような、いま事切れてもかまわないという気になるような。

◆日替わり
書ききれないのですべては書かないんだけど、

謙也「どうも〜光KENYAで〜す!」
(略)
謙也「D1の意気込みは?」
財前「意気込みはないっスけど…まあ俺とケンヤさんやったら負けへんのちゃいます」

というやつで心がズタズタになりました…
あと、オサム「白石、優勝するで!」白石「せや、絶対勝つで!」もな…

豊饒の海@森ノ宮ピロティホール

高校生の頃から繰り返し愛読している「豊饒の海」の舞台版を観てきた。

4部作を2時間30分の舞台にするなんて「忙しい人のための豊饒の海」的な感じなのかなと思っていたけど、「春の雪」を軸に時系列を越えて物語を交錯させながら本質的な要素のみを説くといった構成で、自然な流れで「豊饒の海」という一つの作品として成立していました。

むしろ「豊饒の海」という串刺しで語らなければ、「豊饒の海」の本質に触れなければ、4つの時代ひとつひとつの物語なんて単体では成立しないのだなと観劇して感じた。「春の雪」は単なる儚い恋愛譚ではない、「奔馬」は右翼青年の志だけを語っただけの作品ではない。最後まで描き切ってはじめて、「豊饒の海」が浮かび上がるのだと改めて実感させられた。

もちろん尺の都合があるので、原作愛読者としては「大好きなあのセリフがない」「あの人物が登場しない」とか思わないではなかったのだけど、それを補って余りあるほどの、舞台演劇という媒体ならではの立体感がすばらしい。
むしろあの短時間によくエッセンスを詰め込むことができたなと。ふだんテニミュという基本的に原作に忠実な作品ばかり観ているので、こんな大胆な再構築もあるんだなと目から鱗
「本質を軸に、時系列を崩してエピソードを削って物語を構築する」ためには、原作への深い理解が必要だったと思う。個人的主観としては、私の解釈と合致していて満足でした。

以下、つらつらと。

・いつだって現実感がなくてどこか遠い世界にいるような、ただただ美しい男、松枝清顕。東出さんの清様が120%の出来だったので手が痛くなるほど拍手してしまった。あれぞ選ばれし魂、そりゃ二十歳で死ぬわ!

・東出さんのスタイルの良さが人間離れしていて、清様の夢まぼろしのような美しさ、選ばれし魂っぷりがより強調されていたと思う。もちろん見た目だけじゃなく、所作も完璧に美しかったけれど。ご本人も三島愛読者らしく、それならばあの清様の演技も納得です。

・「奔馬」で描かれる、純粋無垢な男の高潔と女の俗悪という構図、「女なら、幻など追わんで生きられるでしょう、母さん」という台詞が本当に好きなのだけれど(次作への伏線になっているのもよい)、舞台では尺の都合上か、勲に女の影はなく。残念だったけどそこはしかたない。

・「奔馬」パートで胸に迫った場面は、公判での勲の弁舌の力強さ。迷いなき志、その透明性、その鋭さを文章だけで表現した原作が何より好きなのは前提としてあるけれども、生身の人間から発せられる視覚的・聴覚的刺激の熱量で脳を直接殴られる感じもたまらないな。宮沢氷魚さんの熱演がすばらしかったです。

・名高い「奔馬」最終行は、勲の口から語るわけにもいかず、本多じいさん(天人五衰ver.)による「勲の瞼の裏には日輪が昇っていたはずだよ…」という説明によって方をつけられていた。たしかに説明要員は必要だったけど、勲の強い志によって見えた幻を、確固たる勲の美学を、果たして本多は理解できていたのかな?というのは疑問でした。

・安永透の、若さゆえにありがちな肥大化した自尊心と全能感、その凡庸な醜さを、上杉柊平さんは巧みに表現できていたと思う。演者の容姿は美しく、ややもすると彼も「美しくなってしまう」。だけどちゃんと醜かった(褒めてます)、松枝清顕の魂とのコントラストが鮮やかだった。

20180623

長らく放置していたブログをひっそりと復活させることにいたしました。

ここ最近観た舞台の感想などを記憶の限り掘り起こして過去日付で投稿したりもします。


過去の記事を読むと自分がアホすぎて顔を覆いたくなる思いだけれど、過去の自分がアホだと感じるということは自分自身の成長の実感でもあるはずだから、喜ばしいことだと受け止めて残しておきます。


人生山あり谷あり谷あり谷あり谷ありで、迷い悩みのたうち回りながら地べたを這いずり回って生きていますが、それでもやっぱりこの世界に溢れるうつくしさときらめきを享受することが相も変わらず何よりの生き甲斐だし、「生きていてよかった」と感じられる瞬間を奇跡的な仕合わせに思います。

なのでそんなかけがえのない瞬間のことをちゃんと記しておかねばもったいないと改めて考えたのです。


てわけでひとりごとたくさん書いて発散します!!よっしゃ!!!

 


私の人生の最終目標は幸せになることで、手段は問わない。

青学vs不動峰@大阪メルパルクホール

2階2列3* 番 / 13:00-15:00? / 5800 / 晴れ

3rdシーズンmy初日でした。大阪が地方最後なの、変な感覚だ。話題に乗り遅れている感じがする。

まだ判断できる段階ではないので、ぼちぼち見守ります。次は楽ライビュ。

原作の忠実な再現をやめている、時系列を敢えて壊している。いきなり3巻から始まってびっくりしたんですが、「青学vs不動峰」だからリョーマが入学してレギュラーになる過程は範囲外だということ?1stで言うと初演はすっ飛ばして不動峰公演をやってる感じなのかな。

「原作を読んだことがない人でも舞台を観ただけで物語を理解できるような構成じゃないとだめ」とずっと思ってきたんだけど、その考え方がそもそも間違っているのかも。原作が好きすぎて、頭が凝り固まっているのかもしれない。そもそも「これじゃ原作知らない人が理解できない」なんて私が勝手に思っているだけで、実際はちゃんと伝わっているのかもしれないし。
と自分に言い聞かせながら考えたけど、やっぱり1stで言うところの初演部分は必要、というか、好きだ。
「すごい新入生が入ってきた!」という描写がなくっちゃテニスの王子様じゃないなあ。というか、個人的にただ好きなだけなんですけど。リョーマの特別感が。


キャストはなかなかよくできた子たちだという印象。乾はなんというかとてもテニミュっぽい。菊丸の動きが軽やかで良い。桃城はなんだかやけに大人びていてバネさんっぽい。神尾はかわいい。

接触ファンサは満足度が低いのでジャンハイは嫌いです(と言いつつ機会があればちゃっかり接触します)

ミュージカル「ホンク!」@全労済ホールスペース・ゼロ

アンデルセンの「みにくいアヒルの子」が原作の、子供向けのミュージカルです。
ぶかっこうな卵から生まれたぶかっこうなアヒルの名は「アグリィ」。
原作と決定的に異なるのは、他者との差異は個性であって優劣ではないということをみにくいアヒルが学び、美しい白鳥になったのちにアヒルのコミュニティに戻ること。

原作をどうにか前向きに解釈すると、生まれついての狭い狭いコミュニティに馴染めなくとも、外の世界に目を向けてみれば、他に自分を受け入れてくれる同族たちの居場所が見つかるかもしれないよ、という話だと思うんだけど、原作とは違い「このコミュニティにはいろんな人がいるけど、互いの個性を認め合いながら生きていきましょう」というこの舞台の結論はうまくまとまっていて子供向けにはとてもよかった。

だけど、あんなにアグリィを迫害していたアヒルのコミュニティはどうして戻ってきた彼をすんなり受け入れたのだろう、きっと美しかったから。「ぼくが白鳥だって知ってたの?」と問うアグリィに、白鳥の仲間は「もちろんよ、だからいっしょに行こうって誘ったの。」と答える。同族だと知っていたから。
アグリィが白鳥ではなく、本当の本当に「みにくいアヒル」だったら?結局のところ、みにくいアヒルをみにくいままで受け入れてくれたのは、母親を除けばみにくいカエルだけだったのでは?と、ずっと引っ掛かっている。
原作はもっとダイレクトに残酷なお話に思える。私は子供時代、あまり好きではなかったです。

つかこうへいTRIPLE IMPACT「いつも心に太陽を」@紀伊國屋ホール、森ノ宮ピロティホール


02/28 14:00
02/28 19:00
03/01 14:00
03/14 12:00
03/14 17:00

シゲルに添えた指先、やさしく合わせる額。
すべての言葉が意味を失くすような美しさでした。
怒涛のように言葉が溢れていたのに、息をつかせぬ奔流に飲まれるばかりだったのに、公演から時を経た今もっとも色濃く思い出されるのは、ものも言わずに寄り添って前を見据えるふたりの姿。
あんなふうに胸を鷲掴みにされるような一瞬が欲しくて私は舞台に通っているのです。

いつも心に太陽をもって、みなさんは生きていきなさい。
愛することを恐れてはなりません。
人を愛おしく思う気持ちに怯えてはなりません。

セクシャルマイノリティであるがゆえの受難。
どんなに馬鹿げたシーンでも、その後ろ暗さを常に纏っていたように思います。

自分の弱さを塗り込めるように美しさに逃避するシゲル。
すべてを擲って、オンナのように尽くし続ける谷口。
愛し合っているふたりの人間の機微、脆さ。関係が破綻してゆくさま。言い聞かせるように、縋るように、谷口が「きれいだよ」と告げるたびに、もろもろと崩れていくようでこわかった。
自分らしく生きることも、人をうまく愛することも、簡単なようでとてもむずかしいよね。
希望に満ち溢れた道ではなくとも、『生きていかなくっちゃね』。なのです。


今回も例によって龍輝くん目当てで足を運んだのですけど、大くんってすごい人な。どうしてあんなに自然に心に入ってくるんだろう。何回か舞台で観る機会があったんだけど毎回思う。
対して龍輝のお芝居は強引に(悪い意味ではない)心を奪ってくる感じ。圧倒的に派手で、華やかで、熱量があって、目に見えてテクニカル。
鴉のときも思ったけどこのふたりでまた共演してほしいな。

あけましておめでとうございます


正月らしからぬ画像ですが先日の誕生日の写真です。そろそろ年相応の振る舞いをしたいこのごろ。


去年はわりとだらっとぬるっと過ごしてしまったので、今年は時間とお金の使いどころをきちんと見極めることが最大のテーマ。新しく日々の習慣にしたいことがいくつかあるので、今習慣になってしまっている無駄なことを減らします。

それから、何番煎じでも、稚拙な理論でも、自分の考えたことは残したいな。消えていくのだもの。
意味不明なポエム風でお茶を濁さずに言語化できるようになりたいです。

やりたいことをつらつら書く用のノートつくろ。たくさんある。
すこやかに楽しく、笑って生きたいです。
本年もよろしくお願いいたします。